随意随想

「大阪人の心意気と寄付文化」

大阪体育大学教授 大塚 保信

年明け早々大阪城に登ってみた。幸いなことに住家のマンションからお城を見渡すことができ、徒歩なら3458歩で天守閣にたどり着くことができるので、大阪城公園は我が家の庭園を散策する大名気分で四季の移ろいを楽しんでいる。何より高齢者ゆえ入場料なしで登城できるのがありがたい。冷たい風が身にしみる新年ではあったが、結構多くの人で賑わっており外国からの訪問客も多い。

私には子どもがいないが、孫としての役割を担ってくれている姪の子どもが無類の城好きであり、まだ小学校3年生であるにも拘らず日本の名だたる名城と、その城にまつわる武将の戦いぶりや地域、住民にたいする政治むきの話についても私より詳しい。牛に引かれてではないが、いま孫と一緒に泊りがけで日本の名城を順次まわっており、まるでお遍路巡りをしている気分でもある。

ところで現在の大阪城は大阪屈指の観光名所ではあるが、豊臣時代や江戸時代の城でないことは大阪市民なら誰もが知っている。別称で金城あるいは錦城と呼ばれている今の大阪城は、当時、飛行場の滑走路かと市民を驚かせた御堂筋を造ったことで知られている関一市長が昭和3年天守閣再建の提唱をおこない、これに呼応した市民によってわずか半年間で目標額の150万円(現在の600億円から700億円に相当といわれている)の寄付が集まり昭和6年に竣工された。

大阪といえば商人の町、お笑いの町として全国津々浦々に知れ渡っているが、その一方でとかく大阪人は計算高くガメツク、ケチだとも思われている。しかし半年でこれだけ多くのお金を寄付して、かつての天下の名城をよみがえらせた市民の心意気はたいしたものである。新しいお城とはいえ現在は国の登録有形文化財になっている。

寄付といえば、株式仲買人であった岩本栄之助が株で儲けた巨額の寄付によって造られた、赤レンガの壁に青銅のドーム屋根が美しい国の重要文化財である中之島中央公会堂が思い起こされる。巨額の寄付をしたそのあと株は大暴落し、財を失い窮状を極めていた岩本に、少しでも寄付の返還を申し出てはと周りの進言もあったが、それでは大阪商人の名折れになると言い残して大正9年の完成をまたずピストル自殺したこともよく知られている。

大阪は庶民の町、商人の町であり昔からお上に頼ることなく市民の力で町をつくってきた歴史がある。八百八町といわれる江戸にたいし、水の都である浪花大阪は八百八橋といわれる。実際の橋の数は200ほどであるが、お上が造ったいわゆる公儀橋は12橋で残りのほとんどは町人の寄付によって造られたものである。江戸に対抗したその心意気で浪華八百八橋と誇ったのであろう。

最近よく欧米と日本における寄付の文化の相違が指摘される。人口3億人のアメリカでは納税者の30%が寄付に参画し、年間寄付金が20兆円であるのにたいし、寄付に対する優遇税制の違いがあるとはいえ、人口1億3000万人弱の日本では寄付する納税者は僅か2・2%で金額は2、600億円といわれている。欧米には「ノブレス・オブリージュ」という言葉がある。一般には「高貴な者の義務」と訳されている。貴族や恵まれた環境にある者は、国民や市民が困難に直面するときには先頭に立って働いたり寄付をするのが当然の義務であるという伝統を持っている。

折りしも年末から新年にかけ日本列島に「タイガーマスク運動」と称される現象が巻き起こった。テレビ受けを狙った一過性のパフォーマンスだと揶揄するむきもあるが、善意の思いを内に秘めていても実際の行動に踏み出すことは意外と難しいものである。まして赤い羽根にもそっぽを向いている人にとっては目が覚めた思いであろう。

いち早く年初に大阪城に登城し、大阪の先輩市民が築いた寄付文化の拡がりを継承し提唱せねばと思いを新たにした。豊臣秀吉をことさらに贔屓するものではないが、事を成就する知恵を授かりたいと天下人秀吉を祀った城内の護国神社にお参りした。まずはお賽銭を差し上げねばと小銭入れをあけたが500円玉しか入っていない、瞬時にお賽銭としてこの金額を投げ入れる途惑いが手を止めた。幸いというかズボンポケットの奥隅に10円玉を見つけたので、ホッとした気分で50分の1の金額に握りかえ、何食わぬ顔で柏手をうちながら様々な願い事を託した。吾ながら何とも小心者で、さもしくも厚かましい振る舞いである。寄付文化の拡がりを語るなどおこがましい限りで反省しきりの年明けであった。

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