随意随想

「大学教授の生態…高等教育サービス労働者」

関西学院大学教授 牧里 毎治

夏目漱石の「吾輩は猫である」を若い頃読まれた方も多いだろう。あの小説の中に出てくる猫のご主人、教師はたぶん漱石自身がモデルで当時の大学教授なる生態の一端を表したものではないかと思う。

もちろん旧帝大、東京帝国大学の教授だから、今のインフレ状態にある日本の大学教授と生活実態とは似てもにつかぬ暮らしぶりだとはいえる。大きな家屋敷に下女と書生を抱えた公館に棲んでいるようなもので、胃が悪いのか涎をたらして書斎で昼寝しているなんて優雅な生活に多くの大学教授は身をおいていない。

20年前に筒井康隆の「文学部唯野教授」という小説も話題になったことがあるが、文学論を大学の講義のライブのようにストーリー立てした内容だったことを覚えている人もいるかもしれない。海外留学に出張と称して、実は日本に潜伏していたなんて某教授の噂が流れるなんて、なさそうでありそうな逸話が差し込められたりして、大学教授の生活はそうなのかと聞かれることも多かった。ことほどさように大学教授の生態はベールに包まれていて一般に理解が及ばない、あやまった神話が流布している。

それで今回は、随想のネタがつきたので、テーマを大学教授の生態にしてみた。といってもきわて個人的な観察や体験に偏っているので、日本のすべての大学教授の生態について語ることは不可能である。文系学部の私立大学の一学部の一教授、つまり唯の教授から見た大学教授なるものの生態の一部の描写にすぎないと思っていただきたい。

大学教授といえば、夏休み春冬休みがあって、休暇中は海外にフィールドワークするか在外研究に出かけていて、決められた講義科目さえ授業すれば自由な仕事ぶりで、羨望の的にされやすい。しかし、実態はまったく異なっていて、授業のコマ数は多いし、会議や委員会で毎日埋め尽くされている。特に福祉系大学や福祉系学部の教員となると社会福祉士の国家試験受験コースを抱えており、実習指導や演習指導も加わって10コマ前後の授業をもたされることもある。

ところで、コマ数というのは大学世界の専用語で、1コマとは1年間持つべき一授業科目と考えてもらったらいい。国公立大学の標準は4コマが責任授業担当数で大学院担当を加えると5、6コマに増えるのが通常である。もちろん私学の場合は少ない教員数で沢山の学生をかかえるのて、担当授業科目数は多くなる傾向にある。

世間一般からみると、それくらいの授業数なら、優雅で余裕のある花形職業ではないかと思われがちである。ところが私立大学となると学生数も多く、授業受講者も100人をこえる科目も多い。そのうえ昨今の学生は、多様な入試を受けて入学してきているので均質ではない。

つまり一つの授業についていけるレベルの学生もあれば、大学教育を受ける学力に達しない学生もいる。理解力に相当開きのある学生を対象に授業をしなくてはならなくなってしまったのは、進学を希望する者が希望する大学に固執するのでなければどこの大学にでも入れるという大学全入学時代をむかえ、一挙に多様な学生が大量に入学するようになってきたからである。

となると、どういう授業風景になるかというと、学生の私語が五月蝿くての授業の講義が聞き取れない、遅刻してくる学生と早退する学生が多いので落ち着いた授業にならない、堂々と居眠りするのもいればケータイ電子機器をいじっているのもいる。静粛に高遭な講義を受けている風景ではないのである。厳しく私語を厳禁する教員もいれば、自由奔放に授業をする教員もいて不揃いなのである。どうやって私語させない魅力的な授業をするかには苦労が耐えない。授業が終わると汗びっしょりになったり、肩の力が抜けて、疲労感に襲われたりするほど、大人数の授業は緊張する。

授業は概ね90分くらいなので、サッカーの試合時間くらいといっていい。この1時間半を私語もさせず、居眠りする学生はいたとしても、授業に惹き付けて学ばせるのは至難の業というほかない。さしずめ1時間半の国内フライト便のパイロットのように学生を安心させてテイクオフさせ、安全に着地させるのが90分の授業なのである。静寂な環境は保たなくてはならないし、学生には集中して授業の講座アナウンスを聞かせなければならない。

飛行機の客室にはさまざまな乗客がいるのと同じように、昨今の大学授業も300人クラスのマンモス授業は一般的になってきており、多様な学生が受講しているので、すべての学生に満足させるには授業にも顧客サービスのスキルが求められるようになってきているのである。

授業という仕事は、教え授けることなので、真理の発見や学問的意味を解説し次世代に正確に確実に伝えることなのであるが、現在の大学教授という名の人々の過半数は、大学卒業証書を授けるだけの高等教育サービス労働者というのが実態に近いだろう。

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