随意随想

「大学教授の生態(その2)…二足のわらじ」

関西学院大学教授 牧里 毎治

続けて大学教授の生態について書いてみよう。今回は、大学教授はどのような顔を持っているのか研究者と教育者以外にどこでどんなことをしているのか語ってみよう。あらかじめお断りしておきたいのは、前回でも述べたように日本のすべての大学教授の生態ではなく個人的な経験から言える、ほんの一握りの事例であるとご理解願いたい。

研究者と教育者とで既に二足のわらじを履いていることになるのだが、大学は学部ごとに独立した存在となっているので、学部自治として研究・教育に関わる運営をみずから担わなければならず、この研究・教育の管理者・運営者という役割もあるのだ。研究については研究条件や研究者としての採用および地位の保全などに関して、教育に関しては入学から卒業まで教育課程に関することや教育内容にあたるカリキュラムの編成や実施に関して学部教授会で決めなくてはならない。

教授会と聞けば、なにやら老齢教授の元老院みたいに勘違いする方もおられるが、昨今は特別な事がない限り講師、准教授も構成員として教授会に参加するのが一般的だ。要するに二足のわらじだけではすまされない、管理者、運営者の役割を加えると、4足の靴を履いているといっていいかもしれない。

今回は大学内部での役割ではなくて、大学外で教授はどんな仕事をしているのかに焦点を当ててみたい。

研究者という面では学問分野によるけれども、文系の場合は調査研究や研究会や学会での発表など研究するうえで学外に出て仕事をすることも多い。とくに社会科学になると社会そのものが実験室のような存在だから、いわゆる実践現場に出ないことには真実の探求ができない。つまり調査者としての役割ということになるのだけど、データ収集したり、データ分析したりすることが仕事になる。

もちろん調査研究することの内容のなかには研究成果を発表するという行為も含まれているので、研究会や学会で発表することもしなくてはならない。研究が蓄積され、一人前の研究者として名をはせると、講演会や公開シンポジウムの登壇者として学識にもとづく知見を聴衆に提供することになる。

長年研究・教育を続けていると、特定分野の専門家と見られるようになり、自分の大学での講義や研究会だけでなく他の大学からも講師の依頼が舞い込んでくる。本務校の教育に支障をきたさないかぎり講師としてその招聘に応えることも専門研究者として啓発活動は義務でもある。

もちろん非常勤講師や客員講師として呼ばれるので交通費、宿泊費、講演報酬も出る。ふたつ以上の大学から非常勤講師をやるのは報酬の二重取りではないかと疑う人もいるが、専門知識の提供に対する報酬ということで受け取るのがなぜか慣習になっている。

これがテレビ出演やラジオ出演となってくると、かなりの報酬を得る有名教授も出てきたりして、どちらが本業かわからなくなる人もたまにはいる。

大学の経営からみれば、有名教授をたくさん抱えれば、それだけ著名な大学となり、受験生もふえ、偏差値が上がるし、入学生の減少に悩まなくてすむので、安定経営に資することになるし、なによりも宣伝効果が高いということになる。テレビ出演や講演で走り回るようになってくると、だんだん本務校の授業もおろそかになって、非難を浴びることになるが、許容される範囲での社会活動であれば、大学経営者からは文句も言われないのだ。

それぞれの教授の立場からいえば、副業的な面もないではないが、大学の研究者から派生した役割でもあるといえる。派手なテレビ出演とか新聞記事に紙上登壇することもあれば、市井の学術雑誌や専門雑誌の編集者になることもある。研究分野によっても違いはあるが、評論家やエッセイスト、コラムニストとして紙面を賑わしている人もいる。

専門知識や学識を買われて国や地方自治体の行政委員になる教授も多い。政治学や行政学、財政学を専門とする教授が専門委員、顧問、助言者などとして各種の委員会に招かれるのが一般的だが、都市計画や保健医療、社会福祉の審議会・委員会、教育委員会などの委員を兼務している教授も多い。行政委員としては審議会や委員会の委員に留まらず、審査委員や監査委員などが委嘱される場合もあり、いったん行政委員として信頼されると格段に行政委員の数はふえてくる。行政委員以外にも公益団体の委員とか民間団体の理事や監事など有名教授は委員依頼が目白押しだ。肩書きがいくつあるのかわからなくなる。二足のわらじどころか百足のムカデのスニーカーを履いた大学教授もいるくらいなのである。

かく言う私も大阪ボランティア協会の理事長や、宝塚NPOセンターの理事長を兼務したりしているので、ムカデとまでは言わないまでも6足の昆虫もどき教授かもしれない。教授であっても、一昔前の時代の象牙の塔に籠もって、研究三昧、読書の虫になることも許されない時代になっている。少子高齢化の時代の大学は、国際化への対応を含めて、大学自体の存在意義と社会貢献が問われているのである。

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