随意随想

「堂々たる敗者に大きな拍手を」

大阪ソーシャルワーカー協会会長 大塚 保信

何とも不可思議なことであるが、大阪から東京を新幹線で往復するときは、旅行社が企画する切符を購入すれば、ホテルに一泊するほうが安くつくことがある。年間かなりの頻度で行き来することがあるので、いつもこの切符を利用させてもらっている。その代わり用事が無くても必ず一泊しなければならない。お陰で翌日は一日フリーになることが多く、その度に東京近辺をくまなく丹念に探索しているので今ではガイドができるほど東京通である。

さて今日はどこまで出かけようかとホテルを後にして、新緑鮮やかな明治神宮近辺を散策していた先月、足の赴くに任せているうちにいつの間にか神宮球場に吸いこまれ、初めて東京6大学野球を観戦した。神宮球場といえば学生野球のメッカであり、しかも有り難いことに高齢者ゆえ大阪市民でも入場料は無料である。早稲田大学対東京大学の試合はまだ始まったばかりだったが、小雨交じりのなかで応援合戦がすでに盛り上がっていた。

応援団長といえば真夏でも長い上着の学生服を着たヒゲづらで強面の学生を想像していたが、意外と両校の団長はスマートでどちらかといえばやさ男である。さすが大学生らしくチアガールも洗練された演技で学生のかけ声と一体となって球場にこだましている。

ラッキーセブンである7回と最終回9回の表裏には学生野球独特の儀式があり、両校の学生全員が起立する。まず先攻の早大が母校の校歌を高らかに斉唱したあと、団長が180度向きを変え相手校に深々と礼をしたのち「フレーフレー東大」とエールを送る。その後すかさず球場全体の観衆から大きな拍手で球場がつつまれる。残念ながら今の大学生の殆どが母校の校歌を知らず歌うこともできない。ところがここ神宮球場では3塁側からは旧制一校の寮歌「ああ玉杯に花うけて…」、1塁側からはお馴染みの「都の西北、早稲田の森に…」が轟き、関西人である私の胸をも揺さぶる伝統校の重みを味わった。

試合終了後は一斉に学生による清掃が始まる。勝敗のゆくえは読者が予想されるように大差での結果であったが、選手の奮闘に加えこれら一連の行為がまさに「野球道」であり職業野球にない清々しさに魅せられた。

学生野球といえば、憧れの甲子園を目指して全国高校野球選手権大会の予選がそろそろ日本の北から南から各地で始まる頃である。これまでにも多くの感動的で劇的な名場面や名選手の活躍を目にしてきた。熱狂するあまり、おらが郷土の代表のため仕事が手につかない夏を送る人も多くいる。

しかし最近では野球留学とかいって遠くの強豪校に籍をおき、地元の選手がほとんどいない常連校もあり複雑な思いをすることがある。また甲子園では1日に多くの試合が組まれており、試合終了後ただちに次の学校に席を譲らねばならないから、対戦後に相手校に敬意を表するエールの交換もできない。教育の一環といいながら、礼儀や儀式より勝ち負けやスター選手の動向を重視するならただの興行野球に過ぎない。

いやプロ野球でも、かって王選手は本塁打をうってもコブシを挙げることもなく淡々と一周していた。お兄様から「打たれた投手の気持ちを考えなさい」と諭されていたそうである。さすがに756本の世界記録を樹立した時は周りから促されて、遠慮がちに両手を広げてダイアモンドを一周していたのを今でもよく記憶している。

持てる力を存分に発揮し勝利した高等学校には、当然のことながら称賛の大きな拍手が送られるが、健闘むなしく敗れた学校にも惜しみない声援が送られる。むしろ甲子園では、「また来年来いよ」と最後までよく頑張った敗者のほうにより多くの声援が送られる。試合中の素晴らしいプレイをファイン・プレイ(美技)というが、ファイン・ルーザーという言葉もある。力の差が歴然としていても、小汚い姑息な戦法を用いることなく堂々と最後まで戦った者、立派な敗者、見事な敗者という意味である。

そこでひとつの提案がある。甲子園では試合終了後勝利校の校歌が流され、勝ち進む強豪校の歌は何度も耳にすることになるが、一回戦で敗れた学校の校歌は1度も聴くことができない。むしろ最後まで頑張った健闘を称え敗者の校歌を流してあげてはどうだろう。そして最後まで勝ち進み校歌が流れなかった学校には、決勝戦で準優勝校、優勝校の校歌が満員の球場に響けば感激もひとしおであろうし、参加校全部の校歌が甲子園球場に流れることになるのだが

我が母校は大阪府予選の一戦目か二戦目あたりで毎年大敗しているが、せめてファイン・ルーザーたれと祈りつつ今夏は何十年ぶりかで応援に駆けつけてみようかと思っている。

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