随意随想

「大学教授の生態・その3…沈む大学院」

関西学院大学教授 牧里 毎治

大学教授の生態その3については、大学院について語ってみよう。新聞やテレビに出てくる大学教授のうち肩書きに大学院教授とあるけれど、大学教授とはどのように違うのかについて話題にしてみよう。

気にはなっていたが、大学のこともよくわからないのに大学院のことは余計にわからないという読者もいるだろう。大学院は大学のうえに積み上げられる高等教育の制度であるという理解が一般的だが、大学院大学といって大学院教育しかやらない大学も出てきた。法科大学院とか経営大学院とか専門職養成を目的とする単科大学院などがそうである。文科省の大学院重点化政策の後押しで、世界的に地位の低下してきた日本の大学を国際水準に上げようと、新設の専門職大学院の認可規制緩和や、既存の国立大学を中心とする研究系大学の大学院への研究教育予算の重点的配分などの措置がとられてきた。新しい専門職大学院であろうと、旧来の研究者養成の研究大学院であろうと、この10数年間で急速に大学院が設置認可されてきた、つまり大学院学生と大学院が雨後の竹の子のように、増産されてきたのである。ということは大学院を担当する大学教授も急激に増えてきたため、大学教授と大学院教授が入り交じっているということなのだ。

でも大学教授が大学院を兼務すれば、わざわざ大学教授を大学院教授と呼ぶ必要はないのではないかと思う人も多いだろう。これが結構ややこしくて、少し説明を加えると、次のようになる。

単独で専門職大学院を設置していれば、そこに所属する教授は大学院しかないので大学院教授であることに変わりはない。大学には大学院を併設していない学部もたくさんあって、学部しかない大学の教授は大学教授と呼ばれても問題はない。しかし、4年制大学で学部の上に大学院を設置している場合が少し複雑になる。大学院を併設していない学部の教授の場合、大学教授であることに変わりはないが大学院教授とは呼ばない。学部の上に大学院を置いていても学部教授がすべて大学院を担当しているわけではない。

では、大学院を担当している大学教授を大学院教授と呼ぶのかというと、これも怪しい。この場合は大学院兼担教授と呼ぶ。要するに大学教授と呼ぶか大学院教授とよぶかは、教授が学部に所属しているのか大学院に所属しているかの違いなのである。大学院教授が学部教育を担当することもあるし、学部教授が大学院教育に携わることもあるのである。つまりどこの組織から給料が出ているか所属を表す肩書名称なのである。

どうしてこんなややこしいことになってきたかというと、既に言及した国の大学院重点政策に端を発しているのだ。とりわけ専門職大学院が量的にも充実しているアメリカ合衆国がいつのまにか国際的な標準になってしまって、それに見習うように日本も大学教育のあり方を変えてきたといえるだろう。

ロー・スクールと呼ばれる法科大学院や経営学修士いわゆるMBAを出すビジネス・スクールのように専門職大学院を修了しなければ、法曹界、政界、財界で一人前に扱ってもらえない。もちろん日本においても医者も6年制専門教育だし、理工学も最低修士号を修得していなければ役に立たないとされてきた経緯はある。日本の若い人材が国際的にも国内的にも活躍するには、学部教育中心だった日本の大学教育を欧米並みに文系学部も大学院教育に重点を移す必要に迫られたのである。

一昔前までは、人生の最終ゴールとして「末は博士か大臣か」と持ち上げられたこともあった。迷走するどこかの国の大臣のように政治家も尊敬し信頼する職業ではなくなりつつあるが、博士号修得者もかつてほどには有難みがなくなってしまったようだ。

研究に腐心した証として博士号は欲しいが、博士号を取っても正規の研究者になれるのは一握りの優秀な研究者に限られ、ワーキングプア博士もでる始末だ。博士号は足の裏についた米粒なんて揶揄する人もいるが、つまり取っても役に立つわけでなく、しかし取らないと気持ちが悪いというわけだ。もちろん時代の要請から博士号の評価も変わってきた背景があるが、大学院が修士号や博士号を授与するところであることに変わりはない。

鳴り物入りで奨励設置された大学院だったが、定員割れする法科大学院や経営大学院が後を絶たない。既存の研究大学院でも定員割れが起きている。朝日のごとく輝くばかりに登場した大学院だったが、今や夕日の沈むがごとく斜陽し始めているのだ。この背景には大学院を出ても就職先がみえないということもある。文系博士課程修了者が、オーバードクターとして就職が決まるまで在籍し続け、非常勤講師や調査協力者として下積み生活を送ることは珍しいことでもないのだ。博士号を取らないと大学院教授や大学教授にも任用されない時代となったが、博士号を取得しても大学や大学院以外に職場を見つけることがむつかしい世の中でもあるのだ。

しかし、博士号を持っていない私が学位取得の審査をし、大学院教授でもないのに大学院で教えているというのはどういうことなんだろう。

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