随意随想

「志の偏差値…僕のこぼれ話」

関西学院大学教授 牧里 毎治

大学入試につきものの偏差値。過去の入学試験の得点状況を踏まえて合否の難易度を表すのに用いられているが、偏差値が高いと難易度が高いとされる。得点の最も多いところを中央値として、そこからどれだけ離れているかという標準偏差の尺度を使って、受験者全体の得点状況のなかで自分の学力の位置を知る方法でもある。すなわち学力を測定する値として偏差値が威力を発揮するのである。私の勤務する大学の学部も、この化け物のような偏差値に一喜一憂させられるわけであるが、受験生にとっても自分の偏差値と見比べてみて、どの学部のどの学科に挑戦するか選択する目安にはなる。

さて、志に偏差値があるのか問えば、実際は志を測定する尺度があるようで無いので、本当は存在しないとかしか言えない。学力、知力だけでなく、何をしたいか、どうなりたいのか、その志が学力や知力よりも大事なのだということを力説しているにすぎない。とりわけ、社会に貢献したい社会企業家の養成を看板に掲げている社会起業学科としては、社会を変えたい、世のため人のために活躍できる人物になりたいという志は重視している。毎年入学してくる若者たちに歓迎の祝辞として「志の偏差値」を高めて卒業するように励ましているのである。もちろん社会起業に関心をもつ高校生が受験してくるわけではあるが、実際に起業し、社会的企業とよばれる職場に就職していく学生はそう多くはない。

NPO活動やボランティア活動など世のため人のために動いている人たちは、志の高い人だとはいえる。社会貢献するとか地域貢献するボランティアは数々あれど、仕事として職業として公益的、公共的な社会活動、市民活動に関わる人物はもっと少ないとみていい。NPOや市民団体のスタッフとして生涯の職業にする人はもっと希少かもしれない。このような社会活動に熱心で志の高い市民をもじって「志民」ということもあるようだ。ちなみに大阪NPOセンターではこのような市民活動を試みる人に資金助成する「志民ファンド」を設けている。

ところで、市民とは元々なにを意味し、なにを期待される存在なのだろうか。この「市民活動」の市民とは誰のことなのだろうか? 国民でもなく住民でもなく、庶民や大衆とも区別した「市民」という言葉が意味するものを考えてみたい。「市民革命」とか「市民権」という歴史的含意のある「市民」に託された意味はなんだったのだろうか。これは「市民活動」が目指しているものがなになのか訊かれているような気がしてならない。

そもそも「市民」とは欧米から来た外来語のCitizenの訳語だから、都市Cityに暮らしていた人びとを意味していたわけである。自治都市の住民が市民だったわけであるが、かれらは都市の自治を守るために納税し軍隊に志願したと伝えられている。同じ市民をドイツ語では市民をブルガーBurgerというそうだが、こちらは城壁都市ブルグBrugに住んでいた人びとという意味である。城壁で囲まれた自由都市を自分たちで守った市民という意味ではよく似ている。ちなみに、Brugerはフランス語ではブルジョアジーBourgeoisieと変化して、有産階級を意味したのである。資産がなければ納税もできないわけだから、市民は商人たちのことだったわけである。もちろん「市民」の語源は、そのほかにも都市を囲む城壁につながる大通り、ブルバードBoulevardで商売をしていた人たちのことを言っていたそうであるが、実は商人、後に資本家のことを意味するようになったということらしいのである。他にもフランス語には市民を表すシトワイヤンCitoyenがあるが、こちらは都市における市民社会の政治主体者としての市民を意味することが多いようである。

本題に戻って、志の偏差値の高い市民とは、自分たちのまちは自分たちで守る自治の精神に裏付けられた自立した市民、地域を守り育てる市民をいうのではないかと思う。市民の成熟なくしては福祉社会も多文化共生社会も持続しないのだということを西洋思想は語り継いできたのだと思う。懐の深い福祉社会、失敗をしてもだれも排除しない市民社会を願う市民が一人でも多く育っている地域社会を志の偏差値が高いまちと言うのではないだろうか。

日本は西欧社会のように絶対王政を倒す市民革命の経験が無い国なので、市民意識が育ちにくい、あるいは偏った自己主張だけが強い誤った市民ばかりがふえているという批判がないわけではない。しかし、NPOや社会的企業に関心のある若者も着実にふえている。今の格差社会の日本に欠けているものはなにか、市民一人ひとりが社会の問題として向き合わなければならないことはなにか、一人の市民としてできることは何か、市民と行政が協働できることはなにか、私たち一人ひとりの力は微力だが、無力では無い。ふつうの住民だけど眼のこえた行動力のある「志民」になりたいものだ。

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