随意随想

70年前の火柱に託す思い

大阪ソーシャルワーカー協会会長 大塚 保信

 戦後生まれの人口が1億人を数える時代になった。それゆえ戦争体験者は残りの3000万人足らずということになる。しかしその頃幼な児であった人は当時の記憶も定かでないであろうから、忌まわしい戦争を思い起こし伝える者はさらに少なくなった。そこで戦後70年を目前に控え、戦災体験した最後の世代の務めかと思い立ち筆を起こすことにした。

 「敵機来襲!敵機来襲!只今敵機ハ和歌山県御坊方面ヨリ侵入セリ」とラジオが伝えるアナウンサーの声を上手に真似していたと姉からよく聞かされていた。しかしながら、まだ3歳ぐらいのことであるから定かな記憶はない。だが戦局がさらに厳しくなり空爆から逃れるため、たびたび防空壕に避難するようになった4歳頃からの記憶は今でも鮮明である。食糧事情が悪く栄養が偏っていたせいか、当時の私は暗いところでは周りの様子が見えない病に罹っていた。密閉状態で真っ暗な防空壕のなかで恐怖感に襲われよく泣いていた。やむなく母がローソクに火をともしてくれたが、たちまち「明りが漏れている」と見回りの警防団から厳しい叱責が飛んでくる。

 太平洋戦争で大阪は50回を超える空襲に見舞われたが、末期の昭和19年12月から翌年8月15日の終戦を迎えるまで100機以上のB29爆撃機が飛来した大空襲は8回もあったと記録されている(ピース大阪調べ)。なかでも3月13日の深夜から未明にかけての大空襲では3987人もの尊い命が一夜にして奪われた。奇しくも「明りが漏れている」と厳しく叱られたのがその日であったと後から聞かされた。

 6月7日の大空襲も鮮明に記憶に留まっている。けたたましく告げられる空襲警報に急かされ、防空頭巾をかぶり母の手をしっかり握りしめて近くの桜ノ宮公園に逃げ込んだ。いつもは広い公園もこの時ばかりは逃げ惑う人でびっしり埋まっている。周りは瞬時に火の海と化し、空からは燃え盛った火の粉が降り注いでくる。難を逃れるには、その場にうずくまるしかすべがない。火炎の熱さに耐えきれず、そばを流れる大川に飛び込んだ人もいた。しばらくすると公園に隣接する桜ノ宮神社の境内にあった大きな楠の木に爆弾が直撃し、爆風に煽られた大木は根っ子ごと天高く巻き上げられ爆煙の中に消えていった。爆撃機が去った後、辺りを見回すと悲惨な状況が目に飛び込んでくる。川に飛び込んだ人の多くは、あちらこちらで無言のまま浮いている。

 あと数時間で戦争が終わる8月14日の昼頃、大阪城内にあった東洋一の軍事工場である砲兵工廠が集中攻撃を受けたが、その際、流れ弾の1トン爆弾が京橋駅のホームに4発落ちた。駅舎は断末魔の叫びが飛び交うまさに生き地獄と化した。判明している被爆犠牲者210名とされているが、他に無縁仏となった御仏は数えきれず500名とも600名とも言われている。今も京橋駅が見渡せる所に居を構えているから、毎年8月14日は特別な思いで胸が締めつけられる。

 好んで争いごとを起こそうとする者はいないと信じたいが、隣近所でも騒音がうるさいとか些細なことでもめ事が起こり、ときにそれが元で大きなトラブルに発展することもある。古今東西、とかく隣接する国家の間でも何かと争いの種を抱えていることが多い。もめ事や争いの発端がたとえ些細なことであても、いったん戦端が開かれると閉じることは容易ではない。そして争いが収まった後に残るのは、いつまでも募る怨念と次の戦いに向けた恐ろしい武器の開発である。

 70年前に玉音放送といわれる終戦の詔勅で耳にした「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」という言葉は多くの人の記憶に今も鮮明に残っている。しかしその前後の文言はあまり知られていない。要約してみると「時の巡りあわせに逆らわず、堪え難くまた、忍び難い思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を開こうと思う」という文意である。世界中が何かと騒々しい現在にこそ味読する価値がある。

 ところで今になって、70年前の6月7日に火柱のまま天高く爆炎の中に消えてしまった桜ノ宮神社の楠の木はどこに行ったのであろうかとふと思うことがある。炎の中に消えたままで落ちたところを見ていないから、私の脳裏には今もまだ舞い上がったままの姿で残っている。目を閉じて当時に思いをめぐらせてみると、大空高く突き進んで行った火の鳥の姿のようでもある。どこを目指して飛んでいるのか分からないが、「絶対的な平和を実現する神様」のところに行き「どうかこんなむごい戦争は金輪際やめさせてください」と直訴しに飛び立ったのではなかろうか。しかし、今この時にも世界中のあちらこちらで悲惨な争い事が繰り返されている。ひょっとして途中で「戦争好きの邪悪な妖怪」に出会い、行く手を阻まれて難儀しているのかもしれない。しかしやがて必ず目的地に到達するはずだ、そうでなくては尊い命の火を消された多くの人々の魂が救われない。

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