随意随想

健康寿命と健幸遐齢

同志社大学教授・運動処方論 石井好二郎

 2012年7月、英国の国際的医学雑誌『ランセット』に衝撃的な研究が報告されました。運動不足は冠動脈疾患の6%、2型糖尿病の7%、乳癌・結腸癌の10%の死亡に寄与していると算出。世界の全死亡数の9.4%は運動不足が原因であり、世界的に「大流行している(パンデミックな状態)」との認識を示すものでした。わが国においても心筋梗塞や脳卒中などの心臓血管病、がん、ぜんそくや肺気腫などの慢性肺疾患、そして糖尿病などの非感染性疾患(NCDs:Non―Communicable Diseases)と外因による死亡の危険因子の第3位は運動不足であることが報告されています。しかし、現在のわが国の摂取エネルギー量は戦後の食料難の時期と変わりません。したがって、運動量の低下による相対的な過栄養が肥満の主たる原因となっています。

 一方、最近、サルコペニアという用語をよく耳にするようになりました。サルコペニアとはsarx(ギリシャ語の「肉」)+penia(ギリシャ語の「減少」)から作られた言葉であり、米国タフス大学のローゼンバーグという研究者により1989年に「加齢による筋肉量の減少」として提唱されたものです。元々、サルコペニアは概念であり、定義や診断基準は存在しませんでした。2010年にヨーロッパのワーキンググループ(EWGSOP)よりサルコペニアに関する共同声明が発表されました。この共同声明には筋肉量の減少だけではなく、身体機能(歩行速度)および筋力の低下を含むことが推奨されています。2014年1月に発表されたアジアのワーキンググループ(AWGS)によるアジアの共同声明においても、握力と歩行速度の測定が、その診断基準の最初に位置づけられています。すなわち、現在においてサルコペニアは筋肉量の減少だけでなく、身体機能(多くは歩行速度)およびまたは筋力の低下が加わっての複合概念へと変化しています。

 なお、ヨーロッパおよびアジアのワーキンググループ共、その診断基準の最初に普通歩行速度を測定し、秒速80a未満を歩行(移動)能力の低下基準としています。わが国の青信号の最低秒数(青信号の時間の最低基準)は、秒速1mを基準に設定されています。すなわち、秒速80a未満であれば、横断歩道を青信号で渡りきることが極めて困難となり、自立した生活を送りづらくなります。したがって、サルコペニアと診断された場合は、要介護状態あるいは、その直前であると考えられます。京都大学と筑波大学の研究グループがアジアのワーキンググループの診断基準に基づいて、わが国のサルコペニア有病率を検討したところ、男性16.5%、女性19.9%がサルコペニアに該当したことが報告されています。また、国立長寿医療研究センターの調査では、同じくアジアのワーキンググループの基準を用いたところ、85歳以上の男性では半数がサルコペニアと診断されています。皆さんは、この数字を多いと思いますか?少ないと思いますか?

 肥満はサルコペニアにも関連します。体脂肪(特に内臓脂肪)の増加は筋肉を合成させる働きを減弱させ、筋肉の分解を促進させます。運動は直接的に筋肉の合成を促進し、脂肪組織を減少させます。したがって、運動量の低下は肥満を生じさせるだけに止まらず、筋肉量・骨量の減少にも強く影響を及ぼします。また、筋肉の合成には、その材料となるタンパク質が必要です。高齢になると肉や魚を控える方がいらっしゃいますが、高齢者こそ肉・魚・卵・チーズなどをしっかり食べることが推奨されています。

 2014年10月、厚生労働省より日本人の「健康寿命(日常的に介護を必要とせず、心身ともに自立して暮らすことができる期間)」と「平均寿命」がいずれも延伸しているとの調査結果が報告されました。調査結果は2013年のデータですが、健康寿命は男性71.19歳、女性74.21歳(平均寿命は男性80.21歳、女性86.61歳)であり、2010年の前回調査に比べて男性が0.78年、女性0.59年それぞれ伸びていました。平均寿命から健康寿命を差し引いた「日常生活に制限のある期間」は男性9.02年、女性12.40年で、それぞれ前回調査から0.11年、0.28年短縮していました。2001年の調査開始以来、健康寿命と平均寿命の差は拡大する一方でしたが、今回、初めて短縮を示しました。皆さんも健康寿命を永らえて、健やかで幸せな長寿をめざしましょう。

※「健幸」とは造語で、「健やかで幸せであれ」と言う意味です。「遐齢」とは存在する単語で「長寿」と同意です。

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