随意随想

最後の最後まで

桃山学院大学教授 石田 易司

 世の中に障がい者といわれる人はたくさんいる。日本の場合、数字的には全人口の約5パーセントが障がい者といわれている。日本では、統計のために身体、知的、精神の障がい者手帳を持つ人が障がい者ということになっているので、オーストラリアやスウェーデンでの障がい者率30パーセントという数字とは大きな開きがあり、驚かされる。どちらが障がい者にとって住みやすいか考えてみると、少ない数字しか出てこない日本では、きっと障がい者が暮らしにくいに違いない。

 障がい者というレッテルを貼られると、差別があったり、社会参加しにくいバリアがあったりする。だから、外見だけでは分かりにくい知的障がいや精神障がいの人たちで、意図的に障がい者手帳を受け取らない人もいる。発達障がいでは、手帳という制度もないし、手帳を受け取るメリットとデメリットを比較すると、デメリットのほうが大きいと思う人が多い。だから5パーセントという小さい数字になっている。

 その障がい者のうち、半分以上が高齢者だというのは、高齢社会の常識になっている。死を目前にした寝たきりのお年寄りが役所に申請に出かけるわけもないし、認知症になっても、障害というイメージと異なるので、これも申請に行かないだろう。そうすると、実際には高齢者の障がい者比率はもっと高い数字になるのだろう。

 どんどん目が悪くなっていっても、いまさら点字が使えるようになるわけないし、心臓が悪くて、家にじっとしていたら、周囲に障がいのあることが伝わるわけでもないが、本人は外出することはもちろん、お酒を飲む場には出られない。ちょっと汚い話になるが、おしっこが漏れるかもしれないというだけで、人は外出したり、人前に出られなくなる。そんなことを考えると、高齢者は若い障がい者より、さらに生活が不便になる。

 先日、重度の知的障がいを持つKくんとそのお母さんに話を聞く機会があった。妊娠中毒症で8か月で帝王切開で出産。595グラムと聞くと、生きていることすら不思議になる。保育器の中で育つ子どもとは、2週間会わせてもらえなかったとか。何かあるに違いないと思ったけれど、初めて会ったときは、そのあまりに小さいことに驚いて、その他の心配はなかったらしい。頭はこぶし大、腕も指くらいの太さしかなかったというのだ。

 しかし、4歳まで歩かず、話しは今もできず、それでも不安より、子どもを生かすことに精いっぱいで、夢中だったと、お母さん。当たり前のように小中学校は普通学校の普通学級に通い、その延長線上で、高校も公立の普通高校へ。分離や差別化しない大阪府の障がい児教育を高く評価されていた。

 たとえば、高校3年生の遠足はユニバーサルスタジオ行き。すごいスピードが出たり、回転したり、突然大きな音がするアトラクションはK君の苦手中の苦手。お母さんは慣れこそ大切と、1年の時から年間パスを買い、暇を見つけてはユニバーサルスタジオに通い続けたが、彼は一向に興味を示さないばかりか、拒否さえする始末。不安いっぱいに送り出した遠足当日、迎えに行って驚いた。泣き叫んでいると思ったK君は笑顔いっぱい。お母さんとではできなかったユニバーサルスタジオの楽しみが、仲間と一緒だから簡単にできたとか。同級生仲間と一緒にすべてのアトラクションを楽しめた。学力ではなく、統合教育の素晴らしさがこんなところにある。障害があっても、仲間と一緒なら、いくつになっても「発達」できることがある。

 さすがに、いまだに言葉がしゃべれないK君を入学させてくれる大学はなかったので、科目等履修生として、毎日、近くの大学に通っている。4年目を迎えたので、スーツを着て就職活動もやらせてみたいとお母さん。

 今は元気な私たちも、いずれは、というより近いうちに障がい者になる。先にも書いたように、高齢者の多くは障がい者なのだ。誰からも見捨てられて静かに家で過ごす老後を選ぶか、目が見えなくても、足が痛くても、おむつをしていても、たくさんの仲間に囲まれて、笑顔で過ごすか。今から心の準備が必要だ。私たちの多くは、自分のことが自分でできなくなったら人生はお終いだと思っているが、それでもまだまだ楽しいことはあるに違いない。おいしい食べ物、気持ちのいい音楽、温かい仲間とのふれあい…。

 最後の最後まで付き合ってくれる仲間を見つけたい。そして、最後の最後まで付き合ってあげることのできる仲間でありたい。

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