随意随想

氾濫する健康情報「どっちがホント?」

NPO法人JMCA理事長 羽間 鋭雄

 最近某雑誌に、「間違いだらけの健康情報にダマされてはいけない―60すぎたら食べてはいけないもの」という記事が掲載されました。食べてはいけないものには、「鳥のささみ、玄米、ワカメなど海藻、アサリ、シジミ、生野菜サラダ、納豆、豆乳、豆腐…」などが取り上げられています。ここに挙げたものは、少なくとも今までは健康食品として一般に推奨されてきたもので、それを食べてはいけないとは、まったくもってびっくりポンですね! また、食べていいものとしては、「とんかつ、フィレステーキ、うなぎのかば焼き、卵、キムチ鍋、チョコレート、おしるこ…」などが上げられています。こんなご馳走やチョコレートやおしるこを毎日たらふく食べていいなんて(たらふくとは書いていませんが)、うれしくなってしまいますね!

 しかし、食べてはいけないものの根拠についての解説をよく読んでみると、ほとんどが「摂り過ぎてはいけない」とか「産地によって有害物質を含んでいるからいけない」ということであって、それは決して今までの常識を否定するものではなく「ウソ」を言っているわけではないことに気が付きました。

 ただ、食べていいものについては、例えば、チョコレートは脳の働きにいいとか、ステーキはタンパク質が豊富だとか、それぞれの食品の持つ栄養素の有効性については解説されていますが、「食べ過ぎはいけない」とはいっていませんので、「いくら食べてもよい」とか、体に良いものだから「食べれば食べるほどよい」と理解すれば、これは「ウソ」になります。しかし、多種類のサプリメントを大量に摂る人がいるように、「体に良いものは摂れば摂るほどよい」と考える人は少なくないので、正確には「食べ過ぎはいけない」ことを明確にしておかなければ食べてよいものが反って弊害を生むことになってしまいます。

 今回の記事については、著者が常識を否定することを主張しようとしたのではなく、「食べ過ぎてはいけない」という解説の部分を老眼では読みづらいような小さな文字で表わして、「食べてはいけない」という、いかにも常識に反するような「ウソ」の見出しによって意外性をクローズアップし、雑誌の売り上げにつなげようという雑誌社の意図に問題があるというべきかもしれません。実際私も、その見出しにつられて雑誌を購入した一人です。

 平均寿命が年々延びて、健康な老後がより求められる現在、その根幹をなす栄養問題は、特に重要な課題だといえます。かつて、経験則や中国における漢方理論で語られてきた栄養学は、近代に入って、科学としての栄養学が確立されてきました。本来科学の本分は、分析を重ねて物の成り立ちを追求するところにありますが、栄養学もまた、食品を分析してその成分(栄養素)を取り出し、その栄養素と生命の営みとの関わりを分析することによって確立されてきました。しかし、科学がどんなに進化しようとも解明しつくされることはないであろう神秘と不思議に満ちた複雑で巧妙な生命の営みから見れば、取るに足らないはずのわずかな栄養素や限られた食品にこだわり過ぎることは、間違っているといわねばなりません。もし、今の栄養学が教えるように、栄養素を満たすことが生命にとって一番大切なことであるならば、必要な栄養素を満たした点滴や静脈注射に勝る栄養補給はないはずですが、それで健康になれるはずはなく、むしろ点滴は、自力で物が食べられなくなった時の応急処置に限るべきものなのです。

 今の栄養学の最大の間違いは、栄養素を満たすことだけに終始して、栄養素の過剰摂取に対する弊害についての情報が少なすぎることです。長い歴史のほとんどを、十分な食物がない状態で過ごしてきたであろう人類は、飢餓や栄養不足に対する適応力には優れていますが、食物の過剰摂取には十分適応できないのです。豊かな国の病気の大半は、「食べ過ぎ」だといっても過言ではないと思います。

 近年、飽食と肉類の過食によって病人大国となったアメリカから発信された「食原病」の教えに倣って、肉の弊害を謳ってきた日本の栄養界に、最近また「老人は肉を食え」などという声が聞こえ始めました。104歳の100m世界記録保持者について、薄く切った肉が好きで、時々少々食べているという家族の声を聴いて「彼の元気のもとは肉だ」と公言するという栄養学者が現れたりしています。

 しかし、これは元気な酒好きな高齢者に対して、酒が元気の元だといっているのとあまり変わらない様に思えます。どんなに酒が好きで強い人であろうと、聞けば、酒を飲まない日はずいぶん体が楽であると間違いなく答えますが、そのように酒は必ず体に余分な負担を与えているのです。高齢まで酒を飲むことができる人は、酒を消化する人並み優れた能力を備えているということであって、酒が元気の元などということは決してありません。肉もまた、歳を取るとともにあまり肉を欲しなくなることでも明らかなように、肉類は他の食品より内臓への負担が大きく、特に、肝臓疾患者が肉汁のスープを少し飲んだだけで、急に重篤な状態に陥ったという例も耳にします。肉類を食べてはいけないということではなく、歳をとればなるべく内臓に負担をかけない方が良いということです。歳をとっても肉を食べられる人は、肉を食べるから元気だというより、消化能力に優れていて肉を食べられるほど元気だという方が正しいと思います。

 かつて、動物性食品を主食として肉体を鍛え上げていたころの私は、見かけは健康そうに見えましたが、ひどく疲れやすく、一日中眠気に襲われ、すぐ風邪をひくという決して健康とはいえない状態でした。

 そして、一日2食、動物食品なしの生野菜を主食とした超低カロリーの生活を続けて約20年経った今、ボディビルダー時代とはまるで別人のように、健康で疲れ知らずの毎日を過ごし、73歳時の今も、40歳半ばの健康体力年齢を維持しています。

 自らの体験なしに知識だけで能書きや講釈をするのではなく、私は、50年以上に亘って様々な食生活を体験して、何がホントで何がウソかを自らの体で知り、確認してきました。今のところの私の結論は、人類の祖先がそうであったように、「生きたものを生きたまま(生の野菜)、少しだけ頂く」すなわち「命そのものを頂く」ことによって、命が満たされるのではないか、と思っています。医聖ヒポクラテスは、「過食は過ちに通じる」という言葉を残していますが、現在のほとんどの人にとっては、「何を食べるか」というより、「いかに小食にするか」ということが最も大切なことだと思われます。

随意随想 バックナンバー