随意随想

コロナ騒動から学んだこと

桃山学院大学名誉教授 石田 易司

 新型コロナウイルスにはずいぶん悩まされたが、学ぶこともたくさんあった。この年になって今更「学び」ではないかもしれないが、いくつになっても成長できると思いながら、この原稿を書いている。コロナ騒動も今は途中経過だから、この原稿が出るころには、後の祭りになっているかもしれないが。

 まず、私のような「認知症になったら絶対に徘徊する」と家族に言われているものにとって、自宅でじっとしているということがどんなに苦痛かを改めて思い知らされた。どこかに行きたいのだが、いけないのだ。自由な時間がたくさんあることが必ずしも幸せにはつながらないことをまず知った。

 そこで何をしていたかというと、まず家の内外の掃除・整理である。週2回のゴミ出しの日、あまりにもたくさんのビニル袋がごみ集積場所に出されているので、暇ができないと掃除ができないのは私だけではないと思った。例えば、若いときに買った派手なセーターのように、まったく着ないけれど、捨てもできなかった服がたくさんあって、狭い家の中で、無駄に場所を占拠していたことを知った。ものを捨てると家が広くなる。

 買い物に行くことがこんなにリフレッシュできるものかとも思った。わざわざ都心の百貨店の地下の食品売り場まで行って、普段は買わない値段の高い刺身を一切れ買ったりすることが、とても快感だった。財布を握っている人はこんなことでストレスを解消して、パートナーのわがままに付き合ってくれていたのだ。

 また、定時のテレビニュースをはじめ、これまでの人生でこんなに長い時間テレビを見たことがないと思えるくらいテレビを見た。その大半がNHKなのだが、なんと再放送の多かったことか。朝の5時も6時も7時もほとんど同じニュースを流しているし、ドラマもドキュメントも歌番組まで、再放送。NHKも忙しいだろうし、人もいないのだろうが、NHKを批判する政党ができ、国会議員が生まれるのが納得できてしまった。

 そのテレビで、これまであまり見たことがなかった生番組が国会中継。議員の弁舌はすごい。カンニングペーパーを見ながら見事に自分の言葉でしゃべる技術に感動さえ覚えた。こんな人が政治家や大臣になるのだと分かった。

 その大臣や首長の中で何より大切だと思ったのが、先を見る目と決断力だ。選択肢はいっぱいある。いつ緊急事態宣言を出し、それを解除するのか、たくさんの人の生活を決定づける、あまりにも大きな決断だろう。産業や経済を停滞させないで、人の命を守るという、今回は明らかに矛盾する事態、つまり、どちらを優先させても賛成する人と反対する人がいることを決めなければならないのは、大変なことだったろう。その決断する勇気はすごい。私なら、うじうじと悩み続けるだろう。それをあんなに堂々と、世の中は私の思うように動くとばかりに断言できるのはすごい。しかも、その決断が違っても、謝りもしない根性はもっとすごい。いつまでたっても「この1〜2週間、我慢してください」と言い続けることに、ためらいもない。

 そのすばらしい決断で納得できなかったのが、パチンコ騒動。知事さんたちは、営業の自粛をしてくださいとお願いをしていたはずなのに、自分の言うことを聞かないと、店の名前を公表するぞと脅しをかけて、大阪ではとうとうすべての店を閉めさせてしまった。「要請」というのは「命令」だったんだと、権力というものの本質を思い知った。

 しかも、パチンコがしたい人にとっては、死ぬかもしれない病気も怖くない、そして、そういう人がたくさんいることも改めて知った。こんな国でカジノを開いていいんだろうか。

 そして、何より強く思い知ったのが、コロナのような、人が簡単にコントロールできないものが出てこないと、世の中は変わらないんだということ。IT社会といいながら、テレワークや学校での遠隔授業にはついていけない自分がいる。学校を世界の趨勢に合わせて9月から始めたらという意見にももろ手を挙げて賛成できない自分がいる。ハンコなんかなくてもいいと普段は思っているのに、いざとなると、そうは言いきれない自分がいる。

 それなりに器用に生きてきたし、社会の変化にも適応してきたと思っていたが、この年になって、自分の経験が活きないような社会になると、明らかに戸惑っている自分がいる。

 人通りのない繁華街をネズミが群れている光景がテレビで映されていたが、コロナ騒動のその先の社会の変化に戸惑っている自分に比べ、繁華街を我が物顔に闊歩するネズミたちの姿こそ学ぶべき姿だと思った。

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