随意随想

私のふるさと

関西大学教授 森下 伸也

 私の生まれ故郷は鳥取市である。「誰や知らんが、おまえのお国自慢など聞きたくないわ」と言わずに、まあちょいと聞いていただきたい。これから話す話、そんなにお国自慢じゃないし、けっこう面白いと思う。というより、実は回を重ねてすっかりネタがなくなってこうなってしまった次第。是非お付き合い願いたい。

 鳥取駅前からまっすぐ伸びる若桜(わかさ)街道を20分ほど歩けば故郷のシンボル久松山(263m)、これじたいけっこう歴史的・生態的に見て面白いのだが、いまはパス。道路の突き当たりに鳥取県庁が立っている。県庁からさらに久松山へまっすぐ伸びる細い道を通り抜けると広い公道。それを抜ける直前、昔は左手前に幼稚園があり(私はそこの卒園者)、入り口の石碑にはなんと「鳥取県立鳥取西高等学校付属久松幼稚園」とあった(長い!)。県立高校付属の幼稚園? 珍しいじゃありませんか。そう、この鳥取西高校には家政科があり、幼稚園教諭の養成課程があったんですね。高校出たら幼稚園の先生になるんですよ。いまはなき時代の遺産。

 公道をわたってまっすぐ進むと最後は久松山の山端の神社に突き当たる参道で、両側はうっそうたるお屋敷町。このお屋敷町の一角に森昌行氏の実家がある。森昌行氏といえば、つい先日までのオフィス北野社長で、私の小・高の同級生。高校出てから全然面識がないが、テレビに出るたびその顔に面影があって面白くしている。エンタテインメント業界の大物がこんなひっそりしたところの出身だなんて、面白いじゃないですか。

 さて、公道に戻って右側にちょいと進めば、何と塀が何十メートルも伸びる豪邸。豪邸なはずです、県知事公邸。今は見学もできるこの公邸、私が幼稚園時代から大学時代まで主(あるじ)はずっと同一であった。だから私にとって知事といえばこの人、その名は石破二朗氏(のちに衆議院議員・自治大臣)。容易に察せられるだろうが、元防衛大臣・農林水産大臣で自民党総裁候補の石破茂氏。そうです、かの県知事公邸は石破氏の実家なんです。

 もう一歩足を進めると突き当たりは鳥取城のお堀。その右の坂道を登れば、さきほど出てきた鳥取西高。森氏、石破氏シニア、そして私に共通の母校だ。よくあるその地方で顔を利かせる鳥取のボス校。なにせ古い、もとは鳥取・稲葉藩の藩校というから、200年をゆうにこえる古い伝統があるのだ。この類いの古い学校がたいてい地方の野球を築いてきたのが「甲子園」の歴史。

 わが西高はなんと「夏の甲子園」の1915年開催第1回の出場校、しかも長き歴史の開会第1試合に広島中学(わが校もそのころは鳥取中学とよばれた)と戦い、14―7で勝利を収めたのであった。夏の甲子園の堂々たる開幕勝利校である。こんな昔から出ているから出場回数も23回とやたらに多い。とはいえ、出場回数が多いわりに戦績がいまいちパッとしないのは地方高の宿命である。

 よく西高は文武両道と言われる。たしかに卒業生の中には石破二朗氏のような東大出身者もいなくはないが、そう数はない。ただそんな西高―東大出の中から有名人を一人紹介しておこう。こんな俳句知りません?「咳をしても一人」。そう、自由律俳句でおそらく一番有名な一句で、詠んだのは尾崎放哉。甲子園の喧噪と熱狂、放哉の孤独と静謐。これがわが校の先輩なんですね。

 西高とお堀をはさんで真向かいに立つのが小学校。さっきの森氏と私の共通の母校、久松小学校である。素晴らしい先輩がいる。先輩が作ったこんなメロディー、みなさん知ってるでしょ?「兎追いし彼の山 小鮒釣りし鹿の川 夢は今も巡りて 忘れ難き故郷」。そうです、知らない人はいないはず。ずばり曲名は『故郷』。作詞の方は高野辰之という人だが、作曲の方は岡野貞一、私らの先輩はこちら。すごい先輩がいるでしょう。

 岡野貞一は東京音楽学校(いまの東京芸術大学)教授を務めながら、文部省編纂の尋常小学唱歌の作曲委員でもあったという。いわば役人として心に沁みる子どもの歌を作曲したというわけだ。ほかにどんな曲があるのだろう。たとえば、「春が来た」「春の小川」「朧月夜」「紅葉」「桃太郎」……。ななんと、名曲ばかりで、畏れ入ります。

おまけ。
 私の実家は久松小学校のすぐ近くの某公務員宿舎で、幼稚園から13年間高校3年生までの春の遠足は皆かの有名な鳥取砂丘へ行った。あんまり定番過ぎて子どもの時はマンネリとかなんとか悪口を言っていたが、こうして誇るべき絶対の定番があるのもなかなかうれしいことである。その鳥取砂丘は、久松小学校から向かってお堀をはさみ鳥取西高へと向き合う道(さっきの公道)を久松小学校から左側にどんどん歩けば行けます(一番近くて約1時間)。

 どうぞお楽しみに。

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