随意随想

82歳で「老衰死」?

元大阪市立大学教授 羽間 鋭雄

 先日、100歳を目前にした、茶道裏千家15代家元 千玄室氏のお話を伺う機会がありました。「私は、97歳ですが、…」という第一声とともに立たれた姿に、まずびっくり!矍鑠とした姿勢で丸一時間余り、ずっと立ったまま身振り手振りで、時に流暢な英語を交えた話し振りは、その立ち居振る舞いの何もかもが、100歳を目前にしている人であることがおよそ信じられませんでした。日本・国連親善大使、日本国際連合協会会長等々多くの要職に就かれて、今も世界中を飛び回って活躍されているお話は、ほとんどが世界の情勢や世界平和を熱く語られるものでした。「長寿と健康の秘訣は?」との私の質問には、「エゴですかなぁ〜!」との一言!「世界平和の願い」をエゴとして、おそらく100歳を超えても元気に活躍されるであろうとさえ想像できる姿に、これに勝る尊い「エゴ」はないだろうと感動させられました。

 日頃、メディアに取り上げられる著名人の死亡通知では、おおよそ80歳前後の人が多数を占めているように見受けられますが、つい先日、82歳で亡くなられた経済界の大物の死因が「老衰」とされていたことに、間もなく(1年半ほどで)80歳を迎える私は大変驚きました。確かに平均寿命(男性81・4歳)近くで亡くなれば、誰も「早く死んだ!」とは思わず「老衰」といわれるのも不思議でないのかもしれません。しかし、既にスキー場のホテルも予約して、雪の到来を待ちわびている私には「老衰死」はまるで他人事としか思えないのです。

 理屈や講釈を並べるのではなく自らが健康を具現して世に示すことこそが、健康づくり指導者の最大の使命であり一番大事な仕事であると信じている私は、健康への欲求は人一倍強く、人が真似ができないようなことをいろいろ実践してきました。現在も、20年来の1日2食の生野菜サラダを主食とする完全菜食の食生活で、たっぷり蛋白質を摂って100s以上のバーベルを持ち上げ、厚い胸板を誇っていた若い頃よりも、はるかに健康を実感できる毎日を送っています。医師や健康指導者が、お題目のように唱える「肉・魚取り揃えて、できるだけ多くの種類の食品を食べなさい」という、およそ自然界では実現不可能といえる教えとはまるで対局のような生活ですが、十数年来続けている健康体力診断(筑波大学スポーツ医学研究科)では、現在に至るまで常に「20数歳若い」という評価を得ています。しかし、97歳で世界を股にかけて「世界平和」のための活動されている千玄室氏の姿に触れて、80歳はまだまだ「ひよこ」のようなものだと強く思い知らされた次第です。

 ここで皆様に、ぜひお伝えしたいことは、「人並」で満足しないでいただきたいということです。「人並み」とは、その集団の平均的な姿を現す一つの尺度だといえますが、健康面からみた日本人の平均的な生活は、世界の代表的な長寿村の共通した生活とは多くの点でまるで対局にあるといっても過言ではありません。その、およそ健康的とは言えない生活をしている日本人の集団で「人並」の基準が生まれ、同時に「人並=安心」の思いが心の中に定着してしまっていると思われます。皆がそろって安心して平気で病気をし、安く薬をもらえることをありがたいと思う結果が、たった一年で50兆円もの医療費を使うというとんでもない危機的現状を生んでいるのです。日本の医療費がいかに巨額であるかは、たった一年の日本の医療費で、東京〜名古屋のリニア新幹線(総工費9兆円)が5本、有人月基地(4200億円)が100個も作れることを見れば、いかに巨額であるか驚くしかありません。

 「医学が進歩して、病気と病人が増え続ける不思議を、誰も不思議と思わない不思議な世の中」であることが、私には不思議でなりません。しかし、日本の医療体制の実情を見れば、「医療が進歩して病人が増え続ける」ことは、不思議でも何でもないことが分かります。それは、医療が、ほとんど健康を見ないで、病気の方だけを見ているからです。私から見れば、治療と健康づくりは対極の関係にあります。「治療」こそが国民の命を守る最善の策であるとの錯覚から、金も制度も一方的に治療に偏重し、病気と病人の上に医薬産業が栄える現状から、病気になる原因を解明し、健康に寄与する分野や人こそが尊重されるという方向に国の施策が変換しない限り、病気と病人は増え続けるに違いありません。病気の原因は、遺伝をはじめとして、自分の力では防ぎきれないものもあることは事実ですが、それはほんの僅かのことで、自分の責任が皆無である病気はほとんどないと思います。コロナによる規制で、飲食業界の人々が苦労しておられることには心が痛みますが、夜の9時以降から売り上げが上がるなどという言葉を聞くと、多くの日本人が健康であるはずがないと思ってしまいます。どんなに不健康な生活をしていても個人の責任を一切問われることなく、無制限に恩恵を受けられるという健康保険制度の工夫と改善も必要だと思われます。

 今、夫婦が揃って癌治療を受けている知人は、「食べることこそが、夫婦二人の最大の生き甲斐だ!」と憚ることなく広言し、テーブルに溢れんばかりの食べ物を並べて、ビールを片手に掲げた写真を、毎日のようにFacebookにアップしています。抗癌剤を与え放射線を浴びせている医師の口からは、おそらく食生活改善への指導は一切ないとしか思えません。

 これこそ自らシャワーで水を浴びながら(不健康な生活をしながら)、強烈な火炎放射器(薬や放射線)で無理やり乾かそうとしている姿に他なりません。病人がシャワーの元栓を締めない限り、いつまでも、どこまでも火炎放射器を使い続けなければならず、医療費が留まることなく増え続けることは自明のことなのです。

 病気は、不可抗力か?自己責任か?と問われれば、私は躊躇なく「自己責任」であると答えます。生活習慣病のみならず、今のコロナを含め細菌やウイルスを原因とするすべての感染症ですら自己責任が皆無ではないと思っています。なぜなら、どんな病原菌であろうとウイルスであろうと感染した人すべてが発病することはないからです。発病するかしないかのカギは、免疫力が握っています。免疫を含めた生命力こそが生命を守る最大の力なのです。

 そして、その生命力の強さは日々の生活習慣によって決まります。ただやみくもにコロナを恐れるのではなく、まず自身の生活を見直して少しでも健康な生活をされることを祈ります。

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